【監督・北野武はいかにして生まれたのか?】

「監督・北野武」の誕生について教えてください。

処女作の『その男、凶暴につき。』はもともと、深作欣二監督企画の『灼熱』という映画で、警視庁内の汚職がテーマだった。当時、警察内での汚職が相次いだので、警視庁を一つの組織と捉えアウトローの刑事を登場させたいという話だったんです。でも、深作さんが「もっと食いこめ、食いこめ」と言っている間に「これ以上やったら国会尋問だよな」となって、一回流れた(笑)。
そのあとに出た企画が「旅人たちの南十字星」という佐木隆三原作の、カリフォルニアを舞台とした保険金殺人の話。ある会社の社長と常務がハンディキャップの人を雇い、保険金をかけて殺し会社を立て直すということをやった人の話。 彼らは殺してすぐ馬脚を現し、台湾に逃げるんですよ。逃げながらも「社長」「常務」という呼び名は崩さない(笑)。お互い、何もかも失うけどそこのプライドだけは失わないのね。それを、「社長」がたけし、「常務」を陣内孝則でやろうとした。これがすごく面白い話で。彼らは台湾に逃げ、ブラジルに逃げ、果ては一軒家に逃げ込むんだけど、その近くにセスナ機が着陸して、家ごと蜂の巣にするんです。これをたけしでやろうと。でも、そこでフライデー事件が起きて、やれなくなってしまった。それで、たけしが復帰した後も「犯罪者に犯罪者の役をやらせられないでしょう」となって、また『灼熱』に戻った(笑)。それを「その男、凶暴につき」というタイトルにした。で、リハーサルが始まったんだけど、たけしが「二つ困ったことがある」と。一つ目は、謹慎中に溜めていたテレビレギュラーの撮影。それがあまりに多かったから一週間ごとにしてくれと。でもそんなことをしたらスタッフの負担がとんでもないことになってしまう。それだけでも大変なのに、もう一つ「俺はリハーサルできない」と言ってきた。
深作さんはリハーサルが多いことで有名で、何度も役者を追い込む中でベストの演技を引き出す。けど、たけしは「オレはストリップ劇場出身で、女の裸を見に来るやつを5分間、一発で笑わせる職業。だから『同じことを二回やる』なんてことはできないんだ」と。で、深作さんが「こうなったら、俺かたけしか、どっちかが降りるしかないだろう」と仰られた。深作さんは「まさか自分を降ろすことはないだろう」と考えていたと思うけど、僕がたけしに「監督やる気ありますか?」と聞いてみたら「あります」と、「いけると思う」と(笑)。で、深作さんに「ごめんなさい、たけしが監督やります」と(笑)。それで深作さんにギャラだけ払って降りて頂いた。

初期の北野武映画はいわゆる「アート映画」と呼ばれていますが、プロデュースにはどのように困難がありましたか。

例えば、『3-4×10月』は数館でやるなら売上が期待出来る映画。それを100館でやらなくてはいけない、というのが大変だった。その次の『ソナチネ』はまた別の問題が頭をもたげた。たけしに自由に作らせるなら1億ちょっとでやらせたほうがいい。でも、森昌行さん(※12)が『ダイ・ハード』みたいなものにしたい、と言ってきた(笑)。「石垣島に飛びます、セットは台風が来て飛びました」とか、「道を作る」と言われたので、沖縄に行った時に「作った道はどこにある」と聞いたら「たけしさんが撮らなくていいと言ったんで作ったけど撮らずにバラした」とかで、お金が無駄になりトラブルになったという経緯があった。
でも、『ソナチネ』の時には、最初から「カンヌに行こう」という思いがあった。それで、予算と「カンヌに行こう」のせめぎ合いがあって、最終的には「それなりに使うものは使った方がいいよな」となって。当時、ファンドではなかったけどバンダイの社長が松竹第一興行という会社と組合を作ってくれて、それで『ソナチネ』が出来上がった。

『ソナチネ』は最初からカンヌを目指していたんですか?

そう。時代劇以外でカンヌに行こうという思いがあった。僕は『3-4×10月』を観たときに、「これはインターナショナルな映画だからいける」と確信していたけど、世の風潮はそうではなかった。でも、結果的にはカンヌでも大変評価された。『ソナチネ』というタイトルはギリギリまで決まらなかった。『その男、凶暴につき』はすぐ決まって、『3-4×10月』は本来の読み方と違う形で広まってしまった。だから当時のたけしさんはタイトルに対してすごくナーバスになっていた。で、僕が沖縄のロケに行った時に「たけしさんが好きに決めていいよ」って言ったけど直前までなかなか決めてくれなかった。埒があかないから、発破をかけたら「いや、決まっているんだけど……」と口ごもって「他のスタッフの目があるところは嫌だ」って(笑)。で、ロケバスに二人で入って「『ソナチネ』にしたい」と。僕はそれにすごく感動したんですね。ここから本格的にヤクザになるかならないか、の「序曲」なんだ、と。
最初だと、最後のクライマックスは37階建てのビルの頂上から機関銃が落ちてくるとか、そういう『ダイ・ハード』的なものだったけど、撮れたものを観ると、最上階がチカチカしているだけで(笑)。
だから、そういう作り方でカンヌに行こうとするならよりシャープな表現を目指していくしかない、と。それで「アート映画ですよ」という水先案内人としてナポレオンフィッシュを出して、広告にも使ったんです。それで、カンヌでも非常に評価される作品が出来上がった。今では作風が変わってしまったけど、もう一回やりたい。さっきも言ったように、当時は予算と決算の問題で齟齬が起きたから、そこをうまくやれれば。結局『ソナチネ』も興行的にはド派手にコケたからね(笑)。

『ソナチネ』はあんなにエモーショナルな映画なのになぜコケたんでしょうか?

「アート映画としてやるべき予算・館数」を考えるべきなんだよね。10のお金かけた映画に100の映画館を提供し、じゃあ宣伝費はいくら、と館数ベースで決まるのはおかしい。出来上がったものの質を吟味して、長期にわたって回収するというモデルもある。『ソナチネ』では1,2年でのリクープを命じられたが、あの映画でそうしたモデルは難しい。10年単位でリクープしていく作品だから。こうやって会社の方程式に当てはめやすいモデルだけが残ると、映画が死んでいく。

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(※12)森昌行(もり・まさゆき)はオフィス北野代表取締役社長。一貫して北野武映画のプロデュースに携わっている。

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